日本が1868年に250年余りの鎖国を解いたとき、世界、殊に西洋は日本の伝統が生み出した素晴しい宝を見出した。探検家、船乗り、外交官、交易商は、日本の美術品を買いそれを本国に持ち帰った。ヨーロッパでは日本の美が建築、芸術、文化に浸透し、今日アール・ヌーボーとして知られる美学運動の重要な要素となった。
日本人は裁縫、刺繡、織物、素晴らしい組紐に長けており、またこれらの多くは絹製であった。 鍛冶にも長けており、大変堅牢な鋼と非常に美しい銅合金を打ち出した。更に、漆塗りが外に知られる遥か前に、日本では完璧な漆塗りの表面を創り出した。
甲冑と刀には、特別な表現をするための手工芸の様々な技が統合されている。単に、 美しく飾られた布、丹念に打ち出された鋼、そして繊細で完璧な塗りだけでなく、多分最も完璧な方法で、異なった素材と技術が全体に美的かつ実用的に見事に統合されている。甲冑は1領(りょう/くだり)あたり25キロまでもの重さがあり、騎手が着用するのに柔らかく柔軟であると同時に、鋭利な刀から体を防御するためのものである。時代が下るにつれ、甲冑は社会的地位を表す象徴できわめて豊かに装飾されるようになり、そのため更に工芸技能と美が重要になった。
このウェブポータルでは、手工芸の伝統を博物館所蔵の17領の甲冑と2組の刀で展示する。
具足: 甲冑は具足と呼ばれる。戦国時代 (1467-1603年)、 交戦方法が発達し西洋の火縄銃が伝わり、それに対応する防御性の高い甲冑の必要になった。これが、当世具足(=「時勢に合った防御性を備えた甲冑」という意味)を発展させることになる。
侍とは、世界中の人々にとって数百年にわたり神話の様な想像上の騎士であった。それは現実と想像がまじりあった世界を生み出し、それは今日でもなお生き生きと存在している。オスロ歴史博物館で2023年夏、SAMURAI展示が開催された。6ヶ月の開催期間中8万人に上る入場者があり当博物館では記録的な入場者数となった。その図録は以下の記述の様に、私たちが侍に出会う機会を与えてくれた:
日本の歴史で千年に渡って登場する神話のような侍とはいったい何者だったのか? 騎上で敵に挑む強者か、矢を射ち、興奮の叫び声をあげて戦友の背後に馬を馳せる者か? 肘まで血にまみれて両腕に切り取った首を翳し死をもたらす戦士か?鎧を身に纏い、猛々しい力で刀を振り交わす者か、あるいは戦いの途中で恥ずかし気もなく敵に翻る日和見主義者か?
侍とは。彼は、戦者としての熟練した技能を持ち、幼少より登攀、乗馬や泳ぎ、種々の武器で、あるいは武器なしで戦うことを訓練してきた。戦友への忠誠、上官への義務の遂行、容赦なく死に至るまで戦う。彼は誇りと名誉を高く重んじる。だからこそ、侍は勇敢で尊厳高く、命を落とすだろう、あるいは残酷に命を奪われるだろう戦場に向かう前に、辞世の句をしたためた。.
(Samurai, アンネ・ホーブー、ペール・タリエ・ノールハイム(Anne Håbu and Per Terje Norheim), 2023)
写真: ゲオルゲ・アレクシス・パントス(George Alexis Pantos)
戦士から公僕に
江戸時代の前、侍は地方の大名に忠実な武士階級に位置したが、同時に軍人と地主として地元に権力を持っていた。17世紀初めから1868年までの江戸時代に、侍は日本の封建社会の一部となった。それまでのそれぞれの軍事力を日本の大方を治め国の軍事力元締めとなった徳川幕府に委ねた。多くの侍にはそれまでの土地所有権が留保されたが、中には土地所有権を持たず、給与によって新たな国の機構に雇われる公僕になった者もある。
江戸時代に入り、日本における性役割に変化があった。以前より大方男性優位であったが、女性も時によっては戦に女性戦士「女武者」として参加し、男と同じように戦うこともあった。そのため、戦によって死という心許ない名誉を得ることもあったが、同時にある種の自立と「伝説の戦士」という誇り高き個人として鏡にもなり得た。
封建的国家という枠組みには、そのような「伝説の女性」という存在を許容する場はなく、女性はもっと明白な「家に仕える女性」という地位を与えられた。
また江戸時代に甲冑は、戦場での優れた実用性よりも閲兵の際の象徴としての意義が強くなった。実用的要素が全く無くなってしまうことはないものの、徐々に装飾性が増していった。甲冑は機能性を引き続き十二分に備えており、いかなる時でも戦場に赴く準備があることが必要とされた。
1868年に封建制度が廃止され、40万人に上る侍一族が「武士階級」としての地位を失い、甲冑は侍の象徴としての意味を失うことになる。多くの旧「侍」はそのため甲冑と同じように象徴でもあった刀剣を売りさばくことになる。
西洋では甲冑は人気の高い収集品となり、オスロ民俗博物館=現・文化歴史博物館は、やがて大きな収集品を所蔵することとなる。その収集品の規模は綿密に計画されたものではない。諸々の経緯により現在の形になったものである。ノルウェーは海洋国であり、日本を訪れた多くの船乗り・外交官・旅行者が購入し、あるいは贈答品として甲冑を一つまたは複数受け取った。多くは後に民俗博物館に寄贈された。
博物館の17領の甲冑のほとんどは、19世紀のものとされるが、中には1870年代初頭に博物館に入ったものもある。多くは博物館に寄贈される前は個人所有であった。
幾つかの博物館所蔵の甲冑は完璧に全て細部が揃っており豊かに装飾されて大変良い状態であるが、幾つかはかなり傷んでおり、また幾つかはおそらくもとは複数の甲冑だったものから寄せ集められたものと考えられる。
写真: ゲオルゲ・アレクシス・パントス(George Alexis Pantos)